こんにちは。冨樫純です。
「法の解釈」についてのコラムを紹介します。
個人的には、法律を制定した人の意図を探って解釈すべきだという考え方に賛成です。
そうでなければ、何のための法律か分からないと思うからです。
法律はどのように解釈すべきでしょうか。
法律を解釈するときに、法律を制定した人の意図を探って解釈すべきだという考え方があります。
法律は立法者が一定の目的のために定めたものですから、この考え方には理由があります。
でも、立法者の意図がどうであれ、制定されたのは法律の条文です。
そして時代や社会の変化に応じ、この条文の意味は変化すると見るべきだという考え方がでます。
この立場では、解釈はあくまで条文の意味を客観的に探るべきだということになります。
条文の客観的な意味といっても、条文そのものは記号にすぎません。
それは、なんら特定の意味を内包しているものではないのです。
そこでリアリストと呼ばれる人たちは、条文の意味は解釈者によって付与されるものだと考えました。
そうすると、法律を制定するという行為と法律を解釈するという行為は本質的に同じだということになります。
しかも解釈者はみずからの価値判断に従って法を解釈するもので、解釈が正しいとか問違っているとかいうのは無意味だと主張しました。
たしかに、この見解は説得的です。
でも、それでは、 解釈者は自由に法律を解釈してもかまわないことになり、適切とはいえません。
そこで支配的な見解は、法の解釈が解釈者の価値判断を含むものであるとしても、法律を解釈するときは法律の目的に応じて解釈すべきだと考えています。
目的的解釈と呼ばれるものです。
問題は、解釈を行うときに頭のなかでどのような作業が行われるかではなく、どうその解釈を正当化するかです。
そこで今日では、法解釈を正当化のプロセスと位置づける見解が有力です。
下記の本を参考にしました。
『はじめての法律学』HとJの物語
松井 茂記 他2名
有斐閣アルマ