こんにちは。冨樫純です。
「安保法制と墨子」についてのコラムを紹介します。
専守防衛や非攻という考え方は、日本の憲法にも通じると思いました。
2015年9月、国会で安全保障関連法案が可決されました。
委員会での採決は、目を覆いたくなるような修羅場。まさに強行採決でした。読者の皆さんにも賛否両論があるでしょう。
ともかくこれにより、日本は新たな国家戦略を進めていく必要に迫られたのです。
また、委員会でたびたび質疑があったように、自衛隊はいったいどこまでなら出動してよいのか、どのような場合に武力行使して良いのか、といった点は、いまだにはっきりしない印象があります。
墨子ならどう考えたでしょうか。
墨子の思想の根本には、人類への愛があります。
自分さえよければいい、という狭い愛ではなく、天下全体の利益を考えるのです。
とても視野の広い思想だと言えましょう。
また、正義についても独特の考えを持っていました。
当時、儒家も「義」を説いています。孟子が「仁義」の重要性を主張したのはよく知られていることです。
ただ、この「義」とは、それぞれの国家·集団·組織にとっての正義であって、それが他の人々や国々の正義とは異なるという場合も多かったのです。
互いに正義を主張しあい、論争からさらに戦争に発展するということもしばしばでした。
現在の国際紛争も、必ずこの正義の食い違いから起こっています。
この「義」 について墨子は、驚きの行動を示しています。ある国との契約により、城塞の防衛に従事した墨家は、敗北の危機を迎えます。
このままでは墨家は全滅し、その継承者を失ってしまうという局面です。
そのとき、ここは撤退して再起を期しましょうという意見もありました。
しかし、墨家のリーダーは、その国との契約を履行できなかった以上、ここで死ぬのが我々の「義」だといって、結局集団自決してしまったのです。
この事件により、墨家の名は後世に残りました。
墨家の「義」とは、単にその国に殉ずることではなかったのです。天下の利と墨家の義に殉ずる。これが理想でした。
秦漢帝国以降、墨家集団は消滅してしまいます。その原因の一つとして、ごうした強烈な「義」の観念と果断な行動があったのかもしれません。
このように考えると、墨家の活動は、相当に過激だったという印象を持たれるかもしれません。もちろん、儒家と違い、墨家は時に戦闘行為に従事しました。
しかし、世界平和を口先だけで唱えるのではなく、その行動によってみずから示そうとしたのは、潔い態度です。ただし、その戦闘は、専守防衛に限られていました。
この墨家の思想と活動は、グローバル化した国際社会の平和とは何かについて、重い問いかけとなっているでしょう。
ただ一つ考えてみなければならないことがあります。それは、当時と今の「天下」の範囲の違いです。
墨子がいう「天下」とは、まさに「中国」。
範囲は、おおよそ黄河流域から長江(揚子江)流域まで。各地の方言は色々ありながらも、一応「漢語」(古代中国語)を共有していました。
また、一神教ではないにしても、「天」への素朴な信仰というものも共通点でした。「天命」「天運」「天下」などという言葉が今に伝わっているのは、その証しです。
しかし、今はどうでしょうか。天下の範囲は、地球全体に及んでいます。言語も様々、宗教も異なります。
そうすると、共通の基盤がないままに、お互いの価値観に基づいて正義を主張し合うという事態になってしまうでしょう。
さらに空想を遅しくすれば、いずれ地球外生物との共存や対立という事態も起こるかもしれません。
そうしたとき、墨子の説く天下全体の利とは、いったいどのように理解すれば良いのでしょうか。
また、その時、兼愛や非攻は、はたして有効な思想として機能するのでしょうか。
下記の本を参考にしました
超入門『中国思想』
湯浅邦弘
だいわ文庫