とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

マルクスとエンゲルスの不思議な関係

こんにちは。冨樫純です。


マルクスのかけがえのない同志だった男」についてのコラムを紹介します。

 

エンゲルスマルクスのために、なぜここまで面倒を見たのか不思議です。

 

カール·マルクスの同志に、フリードリッヒ·エンゲルスという男がいました。


2人は次のような偶然から知り合いました。

 

マルクスはドイツで、弁護士である父の第3子として誕生。


ボン大学法学部からベルリン大学法学部へ転学後、結核となる。

 

大学教授の道を目指すも成らず、1843年、雑誌「独仏年誌」の編集者の一人としてパリに転居。

 

エンゲルスはドイツのラインラントで実業家の長男として誕生。

 

ギムナジウム(ドイツの9年制の高等学校)を中退後、3年の徒弟奉公に出る。

 

1841年から兵役でベルリンに滞在中、ベルリン大学シェリングの講義を聴く。

 

その後2年間、父が共同経営するマンチェスターの紡績工場で働く。この時期、労働者の生活状態を観察し、1844年、雑誌「独仏年誌」に論文を投稿。

 

マルクスがこれを絶賛。

 

そして1844年、エンゲルスマルクスはパリで出会います。このときから2人は手を携えるように、社会の経済学的な分析と労働運動に参加して

いきます。

 

1848年、ヨーロッパはフランスの二月革命やドイツとオーストリア三月革命など、多くの国々で革命の嵐が吹き荒れました。

 

その先陣を切るように、マルクスエンゲルスは、共産主義同盟のために「共産党宣言」(大内兵衛·向坂逸郎訳、岩波文庫)を発表しました。

 

しかし1849年、権力側の抑圧が強化され革命運動は各地で挫折、マルクスエンゲルスはロンドンに亡命します。

 

ロンドンでのマルクスの生活の中心は、「資本論」(向坂逸郎訳、岩波文庫、全9冊)の執筆でした。

 

妻と3人の娘との生活は貧しく、アメリカの急進的な新聞の通信員の仕事もありましたが、エンゲルスからの資金援助に支えられていました。

 

当時のエンゲルスマンチェスターに住み、2つの顔を持って生きていたのです。

 

エンゲルスの平日は父の紡績会社の重役でした。証券取引所の会員でもあり、独身で高級住宅に住む男です。

 

週末は労働者の娘だった愛人の家に住む、革命家の男でした。

 

エンゲルス1850年から1870年まで、このような二重生活を営みながら、マルクスへの経済的援助を継続しました。

 

1870年に紡績会社の株を売却してロンドンに出ます。それからはいつもマルクスと行動をともにして、自身の代表作である「自然の弁証法」(田辺振太郎訳、岩波文庫、全2冊)や「空想より科学へ」(大内兵衛訳、岩波文庫)などの執筆を行っています。

 

エンゲルスは1883年のマルクスの死を看取りました。そして1895年、死の床にあって愛人と正式に結婚し、世を去りました。

 

マルクスにはとても寛大で素晴らしい、けれど不思議な人生の相棒がいたのでした。

 

下記の本を参考にしました


『哲学と宗教全史』

 出口 治明著

 ダイヤモンド社