とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

価値観は与えられるものか

こんにちは。冨樫純です。


本を紹介します。


①この本との出会い


哲学を勉強中で、「モノサシ」という言葉に引っ掛かり、読んでみようと思いました。


②こんな本です


『哲学のモノサシ』

   西 研 他1名

   NHK出版

 

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壁につきあたったり、不安があって生きてることが苦しくなった時、なぜなんだろう、どういうことなんだろうと考え始める。


その時ヒトは「哲学すること」の中にはいっている…。哲学とは何かをイラストと共に紹介する。


③こんな言葉が響きました


わたしたちは、なかなかじぶんの感受性を受けいれて育てていくことができない。


それはなぜなのか。


わたしたちは最初、無力な存在として生まれ、両親の庇護のもとにある。


そして両親からの愛情を失いたくなくて、「いい子」になろうとするのだった。


しかし「何もしなくても、できがわるくても親はじぶんを愛してくれている」という感覚をもてない場合には、親から与えられる禁止や望ましい自我像をはみだすことは、まさにじぶんの存在そのものの否定と感じられるだろう。


そうすると、親の与えたモノサシ(価値観)を相対化しつつじぶんのモノサシを育てていくことは、非常に難しくなる。


親に気にいってもらうために過剰なまでに努力をしたり、逆に、親にとことん反抗しつづける。


親の命ずるのとはちがうじぶんがいる、それをわかってほしい。


親との関係にかぎらず、「世界はそのままのじぶんを受けいれてくれない」と無意識に感じているときには、じぶんでじぶんの感受性をなかなか肯定できない。


誰かが (恋人なり友人なりが)じぶんの存在を受けいれている、という感覚が得られてはじめて、人はじぶんの感受性を肯定できるようになるのだ。

 

そして、感受性の肯定ができてはじめて、その人はじぶんの感受性を検証しながら自覚的にじぶんのモノサシを育てていくことができるようになる 。

 

そのために、人はいろいろな意味での「家出」をしたりして、じぶんを肯定してくれる人たちと場所を見つけねばならないこともあるのだ。

(本文より引用)


④この本が気になった方への2冊はこちら


『物語 哲学の歴史』

   自分と世界を考えるために

   伊藤 邦武著

 中公新書


『哲学用語図鑑』

   田中正人 他1名

  プレシデント社


感想


たしかに、どんな自分でも、肯定してくれる人の存在は大きいかもしれないと思いました。


興味を持ってくれた方はいるでしょうか?

興味を持った方は、是非読んでみてください。