とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

国際交流の増大はメリットだけか。

こんにちは。冨樫純です。

 

「国境を越えた交流の増大」についてのコラムを紹介します。

 

貿易によって格差が生じているのは、今に始まった事ではないと思いました。

 

進物品として果物はよく選ばれるが、 あなたなら何をもらうと喜ぶだろうか。

 

普段、自分で買って食べることはまずない。

高級なマスクメロンだろうか。

 

お土産としてバナナを持っていくと大変喜ばれたと聞くと、あなたは驚くのではないだろうか。

 

実際、30年以上前にはバナナは高級果物であったし、15年前にはオレンジも高価な果物だった。

 

それが今では、バナナやオレンジが高級果物であったということすら信じられないほど、バナナもオレンジも安価になり、近所のスーパーマーケットで容易に手に入れることができる。

 

この価格の低下と入手が容易になったことの背景には、1963 (昭和38)年のバナナの輸入自由化、91年のオレンジの輸入自由化がある。

 

すなわちこの事例は、自由化による経済的交流の増大によって、日本の消費者は低価格でバナナやオレンジを食べられるという恩恵を得られるようになったということを示しているのである。

 

このような事例は、私たちの生活のいたるところで見られる。

 

以前は享受することのできなかった物品や知識、文化などが、国境を越えた交流の増大の結果、現在では容易に享受できるようになったのである。

 

他方、「世界には63億人の人がいますが もしそれを 100人の村に縮めるとどうなるでしょう」 「すべての富のうち 6人が59%をもっていて、みんなアメリカ合衆国の人です」

 

「74人が39%を20人が、たったの 2%を分けあっています」(『世界がもし100人の村だったら』) という、eメールによる多くの人々の対話の中から生まれた話を編集した 2001 (平成13) 年のベストセラーの一節を覚えているだろうか。

 

数字はフィクションであり現実をかなり誇張しているとはいえ、この一節は経済的交流が増加する中で世界に富の格差があることを明確に示したため、読者の反響を呼んだ。

 

世界銀行の報告によれば、12億人が1日1ドル以下で生活しているという(World Bank, 2002)。

 

ここからもわかるように、国境を越えた交流が増大して多くの人々がそこから恩恵を得ている現在でも、依然として国際関係における著しい富の偏在が見られるのである。

 

このような状況を重視する人々は、国境を越えた交流が増大するにつれて富の偏在が著しくなっているのではないか、という疑問を提示している。

 

このように、国境を越えた交流の増大は何らかのかたちで私たちの生活に大きな影響を与えている。


下記の本を参考にしました

 

政治学』補訂版
 (NewLiberalArtsSelection)
 久米 郁男 他2名
 有斐閣