こんにちは。冨樫純です。
「修道会の果たした役割」についてのコラムを紹介します。
現代の日本での教会の役割を考えてみると、「訳あり」の人々の受け皿になっていると感じます。
時代が違うからか、中世ヨーロッパとは役割が違うようです。
中世ヨーロッパ世界において、なぜ教会の力が拡大していったのだろうか。
その理由は、教会が当時の民衆の支持をえるために不断の努力をしたことにあった。
その中心的な役割をはたしたのが修道会(修道院)であった。
封建的分裂が広がったフランスでは、教会は世俗権力の支配下におかれ、封建領主による教会領や農民への略奪があとをたたなかった。
10世紀初めからクリュニー修道院は農民の宗教的覚醒を背景に改革運動をおこし、聖べネディクトゥスの会則(「信仰と労働の重視」)の厳守と貧民の保護を目標にして、大修道会をつくり、俗権に従属する司教と対立しつつ、改革運動を進めた。
南フランスでは10世紀末以来、封建貴族間の私闘をおさえるために、たびたび教会会議で武力行使を禁じるが決議されて、貧民財産の保護と暴行の禁止がめざされた。
これが「神の平和」「神の休戦」である。
11世紀なかばにはスペインや北フランス、さらにドイツやイタリアにも拡大したが、しだいに民衆性、宗教性が薄れ、ドィツでは国王に利用され、国内の平和化政策に吸収されていった。
12世紀に入ると、東方植民運動や国土回復運動(レコンキスタ)とほぼ同時期に活動を活発化させたのが、シトー派修道会らによる大開墾運動であった。
森林や沼沢地を効率よく開墾することは、農民にとって農業技術の向上や耕作地の拡大につながりる。
また、支配権の拡張や統治基盤の拡充をもくろむ各地の領主諸侯もこれらの修道院を積極的に誘致した。
また、この開墾運動は人びとの心性を変化させ、森は畏怖する対象から、あらゆる可能性を秘めた挑むべき空間となった。
13世紀には、活発化した托鉢修道会の活動があった。
彼らは特定の修道院に定住せず、都市や農村などに居住する民衆のなかをまわって説教をおこない、下層民や異民族の教化につとめた。
イタリアのアッシジのフランチェスコ修道会や、スペインのドミニコ修道会がその代表的なものである。
下記の本を参考にしました。
『新 もういちど読む 山川世界史 』
「世界の歴史」編集委員会 (編集)
山川出版社