とがブログ

本の紹介と、ぼくの興味があるテーマについて書きます。

「心の専門家」は必要か

 

こんにちは。冨樫純です。

 

本を紹介します。

 

①この本との出会い

 


タイトルに惹かれてました。

 


②こんな本です。

 


『心の専門家』

  小沢牧子著

  洋泉社新書

 

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ここ5、6年、事件・事故が起こるたびに声高に叫ばれるものに「心のケア」「心の教育」という耳に心地いい言葉がある。

なぜ、この風潮はかくも社会に浸透し、蔓延したのか?

日常の関係に目を向けることを避け、「心の専門家」に依存し、そこに救済願望を託す傾向に対し、長年、臨床心理学の問い直いに携わってきた著者が、この学問の何が問題かを白日の下にさらす。(本文より引用)

 


③こんな言葉が響きました。

 


90年代に入って虐待事件が増えているという。子どもはおとなの思うようにならない存

在なので、どの時代も子どもは、おとなに叱られときには叩かれてきた。

それがいいと思っているわけではもちろんないが、おとなも苛立ってしまうときはある。疲れていると、辛抱強くはできない。つい子どもに辛くあたり、泣き寝入りした子どもの類に涙のあとがついているのを見て、ああ可哀相なことをしたと愛情が強まったりもする。

そんなふうに、多くの親子は暮らしてきた。

叩いてしまったり抱きしめたり、怒鳴ったり

、甘やかしたり。子どもに一貫した態度など取れないものだ。

折艦をすれば誰かが仲裁してくれたり、子どもが誰かのところへ逃げていったり。

そんな具合に日が過ぎて、子どもは大きくなっていく。いろいろな親があり、子にとって迷惑な親でもそれは如何ともしがたく、ただ関係が閉ざされてさえいなければ、大概のことは折り合いがついていく。

親子の関係はいつの時代も、そんなものであったろう。

ただし、関係が閉ざされていなければ、という一語が重要だ。虐待の場は、きまって閉ざされている。誰か声を掛けていく人、おせっかいを焼く人がいなくなり、おたがいが無関心になれば、虐待は増えていく。

人の関係がどこでも閉ざされていくこと自体にわたしたちが危機感を持たなければ、この状況を変え始めることはできない。(本文より引用)

 


④この本が気になった方への3冊はこちら

 


心理学化する社会 』

  斎藤環

  河出文庫

 


『小・中・高に通わずに大学へ行った私が伝え

  たいー不登校になって伸びた7つの能力 』

   吉田晃子、星山海琳著

   廣済堂出版

 


『カウンセリング心理学入門 』

  國分康孝著

  PHP新書

 


興味を持ってくれた方はいるでしょうか?

興味を持った方は、是非読んでみてください。